FC2ブログ
        

対馬丸 74年

2018/ 08/ 22
                 
 8月22日は、対馬丸が米潜水艦に撃沈され、児童ら1400人以上が犠牲にされてから74年になります。本日の夕刊各紙をインターネットで閲覧してみると、ほとんどの記事が、学童疎開船「対馬丸」という表現です。

 琉球新報だけが、疎開学童や一般疎開者を乗せた「対馬丸」と記載していました。

 学童疎開船「対馬丸」と表現されると、平和な時代を生きる私たちは対馬丸にどのようなイメージを持つでしょうか。立派な客船、それなりの客船。とにかく、対馬丸は客船であったというイメージからは逃れがたいと思います。

 対馬丸は貨物船でした。人を乗せるのではなく物を載せる船です。陸軍に徴用されてからは軍隊を運ぶための船になりました。

 船倉を上下に仕切り、兵隊を運ぶときは上の船倉が居住区になり、下の船倉には武器・弾薬を積み込みました。

 居住区は、木で組み上げられた二段式の狭い棚。当たり前のことですが、本来は貨物船なので、辺りには窓もなければ、トイレもありません。

 対馬丸がどのような船か知っていれば、学童疎開船「対馬丸」という表現はできなかったと思います。琉球新報だけが、疎開学童や一般疎開者を乗せた「対馬丸」と表現していました。さすが、沖縄を代表する新聞です。
スポンサーサイト
                 

コメント